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[特別講義レポート] トロトロだけじゃなかった、ぶりの照り焼きを嚥下食に加工してみた

老化や病気・事故などが原因となり、身体機能の低下に伴って起きる摂食嚥下障害。 食事を食べ物として認識し、口に入れて咀嚼し、飲み込み、胃に送り込むまでの過程がうまくいかなくなることによって起こります。 言語聴覚士は、管理栄養士とともに患者やその家族の「食」をサポートします。同じメニューでも、食材や調理方法を少し工夫するだけで嚥下食になるそうです。 国家資格試験を終えたばかりの有志学生が参加する特別講義から、嚥下食で注意すべきポイントと、「映える」嚥下食の可能性をレポートします!

特別講義をはじめる大西環先生

5つのポイント!凝集性×付着性×流動性×固さ×離水性

嚥下食と聞くとみなさんはトロトロとした離乳食や流動食のようなものを想像するのではないでしょうか。ドラマや映画など、スプーンですくわれた食事が患者さんの口に流し込まれるシーンを思い出す人も少なくはないはずです。

しかし、それは嚥下食の一側面にすぎません。細かく刻まれた「刻み食」や、トロトロとした「ペースト食」など、嚥下機能の度合いによって調理方法は異なるのです。言語聴覚士は患者さんに合わせた食事の形態やそれに合う食材を模索し、管理栄養士らとともに日常生活や身体の回復に必要なエネルギーの供給を考えるのです。

摂食と嚥下を理解しよう

一般的に嚥下食は5つのポイントを考慮する必要があるとされています。咀嚼する力の有無、口腔内の動き、食事を飲み込んで喉まで押し込む力によって、食物の固さ、離水性、流動性、凝集性、付着性を調理段階で操作する必要があるのです。

この5つのポイントを理解するために、私たちが普段どのように食事をしているのか、つまり「摂食」「嚥下」をしているのかを段階的に見ていきましょう。


摂食

①食事を食事と理解する|先行期(認知期)

かたちや匂い、好き嫌いなどこれまでの人生経験を通じて、私たちは眼前に並ぶものを食べられるものとそうでないものとして認識します。

②噛み潰す|準備期

食事を認識した私たちは、口を開けて運び入れ、舌を自在に動かしながら細かく咀嚼し、唾液と混ぜて飲み込みやすいかたちにまとめていきます。

③喉へ送る|口腔期

細かく噛み砕かれてまとめられた食物の塊は、舌の動きによって喉の奥に運び込まれます。

嚥下

④食道を開く|咽頭期

塊が喉の奥に運び込まれると、反射的に鼻(鼻腔)や肺につながる道(気道)を閉じて食道が広がります。この時に気道に食事や唾液が入ってしまうことを「誤嚥」と言い、肺炎の原因になることがあります。患者さんによっては、誤嚥してもむせないこともあるそうです。

⑤胃へと送り込む|食道期

喉へ送り込まれた食事は食道の動きによって胃へと送り込まれます。


この一連の動きはほとんど意識しないレベルでおこなわれるのですが、各器官の機能低下や神経の麻痺などでうまくいかなくなってしまい、摂食嚥下障害が起きてしまうのです。

したがって嚥下食とは、失われた嚥下機能と摂食機能を補完するために、あるいは機能を向上するリハビリの際に取り入れられるものなのです。咀嚼する力が弱くなってしまったからといって、一様にトロトロとした食事にする必要はありません。柔らかな食事や飲み込みやすい食事など、言語聴覚士が患者さんの能力や状況に合わせて適切に判断していくそうです。

ぶりの照焼定食を刻み食とペースト食に加工してみた

大阪保健医療大学言語聴覚専攻科では、摂食嚥下機能障害のメカニズムや嚥下食のポイントは座学や実習を通じて学んでいきます。国家試験では実際に患者さん、あるいはご家族を目の前に判断する試験はありません。しかし、実社会に出ると必ずその場面がやってきます。その時に、どのような判断が求められるのかを先に体験してもらおうと、国家試験を終えたばかりの学生を集めた特別講義が開かれました。

摂食嚥下機能障害の患者さんが家庭に戻ったことを想定し、「ぶりの照焼定食」を嚥下食としてどのように加工すればよいのでしょうか。咀嚼と送り込みがうまくおこなえず、嚥下反射に障害のある「中等度」と「重度」の2名の患者さんを想定しておこなわれました。設定された障害の程度や症状について教員から話を聞いた後、学生は各5名程度ずつ4つのグループに分かれ、ごはん、ぶりの照り焼き、肉じゃが、小松菜と揚げ出しのおひたし、金時豆、お味噌汁の加工に取り組みました。加工方法は、学生たちがこれまで学んできた知識をもとに話し合いながら決めていきます。

加工前のブリの照り焼き定食|ごはん、ぶりの照り焼き、肉じゃが、小松菜と揚げ出しのおひたし、金時豆、お味噌汁

ペースト食はとろみ剤の種類と量が大事

摂食嚥下障害が重度の患者さんを想定したグループは、「とろみ」に注意しながら「ペースト食」として加工をしていきます。まずは目の前に置かれたお惣菜を注意深く観察。「小松菜は食物繊維があるから、それ以外と分けて細かくせな」と小皿にとりわけ、薄めた出汁を加えてミキサーをかけていきます。

「とろみが濃いと送り込みにくくなるし、ゆるすぎると誤嚥するし」と、食物の重さあたりに必要なとろみ剤の分量を計算して加えていきます。使用するのは市販されているとろみ剤のソフティアSとソフティアU。ソフティアUは70度以上に加熱することでムースのような柔らかい形状にすることができます。食材が焦げ付かないように調理し、バットの上で冷ましながら形を整えます。

お湯に溶かすだけでつくれるお味噌汁では、学生たちはノドに張り付く恐れのある乾燥ワカメやネギを取り除き、とろみをつけていきます。ここで中村靖子先生から「ソフティアSとソフティアUでどんな違いがあるのかな」と質問が入ります。とろみ剤を加えたお味噌汁を見た学生は、「これも(見た目のとろみが)同じにできた」と調理台の片隅に置いていたのですが、別の学生が「こっちよりもシャバシャバや」と気が付きました。とろみ剤の種類によって、仕上がりが異なる。つまり、とろみ剤の量だけでなく、どのような性質をした調整剤を使っているのかも考えなければいけないんですね。

殻のついたエビや繊維質の小松菜など、調理の前に惣菜をチェック
食材の粉砕具合を確認しながらミキサーをかける学生ら
ソフティアUの使い方を指導する中村先生
ミキサーをかけたじゃがいもにとろみを加えたもの

刻み食は細かくするだけで大丈夫?

一方、摂食嚥下障害が中等度の患者さんを想定したグループは障害を理解するのに苦しんでいました。「どこまで刻めばいいんだろう」とブリの照り焼きを前に手が止まります。まずは皮や骨を取り除き、フレーク状になるまで身を細かくほぐしていきます。とろみ剤を加えたタレを最後にかけこちらは完成。

おはしで照り焼きをほぐしてみる

次の課題はおひたしに含まれていた揚げや豆もやし。「揚げは噛んだらジュッと(出汁が)出て誤嚥しやすいかな(=離水性が高い)」、「豆もやし(の固さ)はいけるやろか、私だったら食べたいけど」と悩んだ末、今回は揚げを細く切り、豆もやしはついたまま加工することにしました。そんな彼らを見て、平林容子先生の目がキラリ。その理由は後ほど平林先生の加工で明らかになります。

学生に声を掛ける平林先生

続いて、肉じゃがを加工する時にも食材ごとの固さに着目します。「肉とニンジンは固いから小さめに、じゃがいもは柔らかいね」と食材ごとに大きさを変え、とろみ剤を加えて完成です。

熱しながら刻み食のとろみを調整
肉じゃがも食材ごとに取り出して細かくカットしていく

食を通じたリハビリを考える言語聴覚士

ペースト食と刻み食ではそれぞれ注意するポイントが異なるようです。すべてのチームが完成すると、どこに注意をしながら加工したのか代表者が発表していきます。

お互いの調理を細かく観察する学生たち
味わいながら先生の調理と比較していた

ペースト食のグループは、ムース状になったブリの照り焼きがまるで切り身のように整形されていました。おひたしは小松菜とそれ以外で分けていたこともあり、なんだか色鮮やかです。「見た目で何を食べているのか想像してもらいたいと思い、かたちにもこだわりました」とのこと。中村先生は「すごいね。見た目も食事をする上では大切やもんね」と評価する一方で、「匂いはどうかな。誰も気がついていなかったけど、ショウガのチューブも用意してあったんだよ」と。中村先生がつくったペースト食では、生臭さを抑えるためにショウガの汁を少しだけ照り焼きの表面に塗っていたと知り、学生は驚いていた様子でした。

教員が加工したペースト食
見た目へのこだわりを感じる学生の照り焼き定食

続いて発表する刻み食のグループと平林先生の加工した食事を比べてみると明らかに違う点がありました。「『刻み』という言葉に引っ張られすぎていたと思うんだけど、咀嚼能力だけではなく、送り込む力も低下している患者さんという設定なので、私は肉じゃがをもう一度火にかけてから、荒く潰したりと固さをかなり下げています」と、目を光らせていた理由がわかりました。おひたしは豆腐と混ぜて白和えのようになっていたり、照り焼きもかなり細かくされてとろみが加えられたりしています。刻み食といっても障害の様子によって工夫するポイントが異なるようです。

学生と比べると平林先生の食材はのどごしをよくする工夫がされていることがわかる
学生の刻み食は原型を保っている食材も見える

最後には学生と先生が加工した食事の食べ比べをしながら、先生からの総評です。中村先生は「見た目が(これまで食べてきた)食事みたいじゃないから、それだけで食欲が低下するかたもいらっしゃった」と言います。日本の食品メーカーは、医療福祉関係者からのこうした声に対して、一般的な食事と遜色ない見た目の惣菜の開発に取り組んでいるそうです。

これまでの食体験と異なる嚥下食では、家庭でも少しの工夫でできるような映える食事が、リハビリに取り組む患者さんの背中をそっと後押ししてくれるのかもしれません。言語聴覚士は食物の物性をきちんと理解し、主体的に食のリハビリに参加してもらえるような工夫を考える必要があるようです。

「患者さんの食べたいという気持ち、ご家族の食べさせたいという気持ちは、計り知れないものです。嚥下機能の改善を目指しながらその思いをどう実現していけるのか、工夫や努力を積み重ねるのが臨床だと思います」と、大西先生は食事を通じたリハビリでの言語聴覚士の姿勢にも触れられました。
おいしく安全に、味わう喜びをもう一度感じてもらうために努力する言語聴覚士。4月からそれぞれの現場で言語聴覚士として奮闘する学生の姿を想像できた特別講義でした。

(文=浅野翔/デザインリサーチャー)

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