中田悠介(なかた・ゆうすけ)さん
言語聴覚専攻科2年生(※2019年9月時点)。大学卒業後、言語聴覚士になる希望をもちながらも、急性期病院の総合職として勤務。2年間入院管理課で請求業務に従事。病院で勤務できたことで自分の職業観が明確となり、言語聴覚士への更なる想いを確認。自分はどのような仕事を通して、どのような人間になりたいか思い描くことができた。金銭的な問題も専門実践教育給付金の指定講座に認定されている大阪保健医療大学なら、集中して学べると入学。※2018年4月~2020年3月在学
※2019年9月現在の制度に基づいており、今後の制度改正等により変更になることがあります。
医療に興味をもったきっかけ
度重なる怪我と病気に悩まされた高校時代
私は小学校から高校まで10年間サッカーをしていましたが、高校入学と同時に腰椎椎間板ヘルニアという怪我をしました。以降、度重なる怪我と病気に悩まされ、どうして自分だけがこんなに苦しまないといけないのか、やり場のない怒りやもどかしさを感じました。その頃は、精神的にもとても辛かったです。
しかし、多くの病院を転々としている時に一人の柔道整復師の方と出会い、その方のおかげで物事に対する考え方が変わりました。「ピンチはチャンス」「苦しい時こそ笑顔」たくさんポジティブな言葉をかけてもらいました。初めの頃は、「そんなに簡単に前向きに考えられない」「しんどいのに笑えるわけがない」と思っていました。しかし、何度も前向きな言葉をかけてもらい、それらを意識するようになると、自分の考え方が少しずつ変わっていくのが分かりました。それ以降も何度も怪我をしましたが、「今の自分にしかできないことがある」と言い聞かせ、リハビリテーションに取り組むことができました。高校3年間、ほとんどが怪我との戦いでしたが、最後までやり抜くことができました。このことが医療に興味をもつきっかけになりました。
最初の就職活動
専門職として医療に携わる覚悟
その後大学に進学し、就職活動の時に自分が本当にしたいことは何か、将来どのような人間でありたいか、など真剣に考えた時、「少しでも誰かの役に立ちたい」と思いました。そして医療職について調べ、言語聴覚士という職業を知り興味を持ちました。
しかし、「言葉を話すことができない人のリハビリテーションが自分にできるだろうか」という不安があり、その時点では専門職として医療に携わる覚悟を持つことができず、急性期病院の総合職を受験し就職しました。2年間、入院管理課という部署で請求業務を行いました。業務を行う場所は毎日病棟の詰所(ナースステーション)でした。常に医師、看護師をはじめとした多くの専門職の方と同じ空間で仕事ができました。急性期の病院ということもあり、現場は日々慌ただしかったですが、患者様の想いや人生観を大切にし、気持ちに寄り添い、これから先のことを一緒に考える専門職の方の姿を見て、純粋にこんな人になりたいと思いました。病院で勤務できたことで、将来自分はどのような仕事を通して、どのような人間になりたいかを明確に思い描くことができました。
再進学の決心と金銭的な問題
「専門実践教育訓練給付金」と「教育訓練支援給付金」
言語聴覚士の学校に進学する決心がついたものの、進学するには金銭的な問題がありました。入学金や授業料に加え、生活費も必要です。これまで定期的にいただいていたお給料はなくなります。かと言って、夜間の学校に進もうとは思いませんでした。学ぶ時間そのものが少なく、結果的に自分が思うような勉強ができないのではないかと思ったのです。どうせやるなら専門的にしっかり勉強したい、そう思いながら将来への道を探っていました。そしてある時、学校のホームページで専門実践教育訓練給付金という制度で96万円(現在は112万円)の給付が受けられることを知りました。これなら何とかなるかも。希望がわきました。早速ハローワークに確認すると、教育訓練支援給付金という別の制度も併用できると教えていただきました。これは非常に大きな助けになっています。人によって給付される額に多少違いがあるようですが、私の場合は、この制度(教育訓練支援給付金)により、2ヵ月に1度、27~29万円ほど支給を受けています。
大阪保健医療大学に入学した今
2つの制度の併用で、STになるための勉強に集中!
今、私はアルバイトを考える必要もなく勉強に集中し、言語聴覚士になるための第一歩を踏み出しています。この制度がなければ、今も前職のまま、言語聴覚士に憧れるだけの毎日を過ごしていたかもしれません。なりたい職業を目指していられることに感謝し、いつか私も患者様のために存分に働いてみたい、そう思ってがんばっています。