原田 俊美(はらだ・としみ)さん
言語聴覚士
関西学院大学総合政策学部卒業後、大阪リハビリテーション専門学校入学。卒業後、尼崎中央病院にて言語聴覚士として勤務。※取材当時
INTRODUCTION
飲食物を口腔内に取り込み、飲み下して胃に到達するまでを「摂食嚥下」といいます。何らかの原因によって、その経路のどこかに支障が生じると、摂食嚥下障害になります。摂食嚥下障害は好きなものを自由に食べられないQOL(生活の質)の問題のみならず、誤嚥による肺炎の発症や栄養・水分の必要量の摂取困難など生命維持にも大きく関与します。低栄養や脱水、誤嚥性肺炎などを防止することがリハビリテーションの目標になります。
もう一度食べさせたい
A子様は100歳です。肺炎のため、当院に救急搬送されてきました。半年程前に肺炎になってから、誤って気管から肺に食べ物が入ってしまう「誤嚥」の危険性が高いという前医の判断で、食べたり飲んだりは全くしていなかったとのことでした。娘様の介護のもと自宅で生活されていましたが、食べられなくなってから寝たきり状態で、表情もなくなりお話しも全くされなくなったようでした。
超高齢で、認知症もあり、はじめて当院でお会いした時は、食べたり飲んだりすることを認識されず、口を開けられなくなったり、口に入っても吐き出したりする様子が見られていました。ですが、娘様が「母は食べることが好きでした。だからどうしても、もう一度好きな物を食べさせてあげたい」と食べることを諦めていませんでした。
チームで関わる
A子様は食べ物を飲み込む力も弱くなっていました。STの手で口や舌を動かす練習をしました。甘い物がお好きだったという娘様からの情報により、ジュースを付けて凍らせた綿棒で口の中を刺激して飲み込む練習をしました。
STだけでなく、PTでは車椅子に乗る練習をしてリハビリ室に行き、お花を見たり少しだけ外の空気を吸っていただいたり(当院にはリハビリ室に中庭があります)、OTでは、元々阪神タイガースがお好きとのことだったので、阪神の選手のお写真を見てもらうなど、認識する力を取り戻すような関わりをしました。チームでの関わりの成果か、入院時は全く表情変化が見られなかったのが、徐々に少しずつ笑顔が見られるようになり、極少量の水分やゼリーは飲み込めるようになってきました。そんなある日「食べたい物はないですか?」とお聞きすると、「うなぎ」とお話しされたのです!はじめて言葉を聞くことができた喜びが湧いてきましたが、同時に、せっかく食べたい気持ちがみられるようになったのに、どうやって鰻をご本人に提供するかと思い悩みました。その時にはまだごく少量の水分かゼリーしか飲み込めていませんでしたので、鰻は誤嚥してしまう危険性が高かったのです。主治医の先生や栄養士さんとも相談し、まず誤嚥のリスクもご理解いただいた上で、娘様に鰻の持参を依頼しました。もちろん快く引き受けて下さいました。万が一誤嚥してしまった場合に備えて、主治医や看護師さん同席のもとで召し上がっていただきました。栄養士さんは、ご家族様が持ってきて下さった鰻を鰻重のように見えるようお皿にご飯と錦糸卵をのせて用意して下さいました。それをご本人にお見せしたら、娘様の前で最高の笑顔を見せて下さいました。そのまま食べては誤嚥の危険があるので、お見せした後、鰻をすり潰して極少量食べていただきました。「美味しい」とご本人。その日を境に、言葉が増え、ペースト食ではありますが、1日3食の食事を口から食べられるようになってご自宅に退院することができました。
当事者やご家族の想いに
当院退院後、ご自宅で娘様介護のもと、1年間過ごされ、101歳で他界されました。他界された後、娘様がご挨拶に来て下さった際「先生に出会って、母はもう一度好きな物を食べることができました」と言って下さいました。STとして、これ程嬉しい言葉はありませんでした。
今回、娘様の諦めない気持ち、ご本人の食べたい気持ちに応えられる結果となったのは、STだけでなくA子様に関わった他職種によるチームの力があったからだと思います。いくつになっても、どんな状態であっても、食べたい気持ちがあるならどうすれば食べられるかを考え続けること、そのために他職種と連携しながら関わることの大切さをSTとして改めて実感しました。これからも患者様やご家族様の食べたい気持ちに寄り添えるSTを目指し続けたいと思います。
STをもっと知りたい方は冊子でも
「言語聴覚士という選択」第3版(製作:大阪保健医療大学 言語聴覚専攻科)
この記事の引用元にもなっているこの冊子は、言語聴覚士という職業を知っていただくために作られました。言語聴覚士という選択。その先に何が見えるのか、ぜひご覧ください。この冊子をお読みになりたい方は、言語聴覚専攻科のイベント(オープンキャンパスなど)にご参加ください。