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[インタビュー] 対話会の行方|1部 対話会のはじまりと教育的価値

河南秀和先生

大阪教育大学卒。豊中市立教育研究所所員、兵庫県公立小学校教員等を歴任。在職中に神戸大学大学院教育研究科修了。養護学校校長、小学校校長を経て篠山市教育長就任。平成23年退任。平成24年大阪保健医療大学言語聴覚専攻科入学、26年修了。現在、社会福祉法人わかたけ福祉会理事長、篠山市こども発達支援センター長兼言語聴覚士として子どもの発達支援の臨床に携わる。※役職は取材当時のものです

大阪保健医療大学言語聴覚専攻科は、失語症の方を招いた臨床的な教育の機会である「対話会」や「臨床講義」をいち早く取り入れた大学だ。交流を通じて失語症への理解を深める教育的な意味だけでなく、失語症患者の社会参加という視点でも注目を集めた。他の教育機関へも影響を与えたこの臨床的な教育は、どのような目的ではじまり、いかなる教育的価値を生み出してきたのだろうか。

当時、専攻科学生であった河南秀和氏(社会福祉法人 わかたけ福祉会 理事長 ※役職は取材当時のものですを迎え、大西環教授とともに「1部|対話会のはじまりと教育的価値」について伺った。ふたりの話から見えてきたことは、相手の伝えたい思いを機敏に察知する観察力と、それを引き出す対話力の重要性だった。

失語症の知識をそれぞれの経験に

「学生のほとんどが、入学までに言語障害の方と話した経験がありません。少しでも早く出会って、相手の方々を知ることが大切です。患者様一人ひとりに合せた訓練やサポートができるようになるには、知識の詰め込みではだめだと思っています」と話すのは、言語聴覚専攻科主任の大西環先生だ。

「言語障害」と言ってもその障害はさまざまで、症状はもちろん状態やその程度もひとりとして同じではないという。当然、コミュニケーションの取り方や工夫も異なってくる。大西先生がこれまで出会った患者らも、誰一人として同じ症状、同じ状態ではなかったという。

常に患者である個人とその家族に向き合うことが求められる言語聴覚士。それを目指す学生を指導する立場になった今、学術的な知識だけでなく、臨床的な知識と経験を積む教育プログラムに注力している。その特徴を最も表しているのが「対話会」「臨床講義」である。

──「対話会」や「教育支援員制度」はいつどのように始まったのでしょうか。

大西2001年、当時は(前身の)大阪リハビリテーション専門学校でおこなわれました。日本言語療法士協会会長も務めた柏木敏宏先生※1のご紹介で失語症などの言語障害の方にお越しいただき、学生とお話いただいたのがきっかけです。学生と患者様双方からの反応に手応えを感じ、授業として言語障害の方を実際に招くというプログラムがはじまりました。「対話会」は、その後、他の複数の養成校にも広がっていきました。

こうして毎年継続的におこなう授業となり、協力してくださる患者様やご家族をその貢献にふさわしい立場で迎えたいと考え、お招きする方々を「教育支援員」と位置付ける学内教育体制を2016年につくりました。現在は20人以上の方に教育支援員としてご協力いただいています。

 

言語聴覚士の姿勢を育む 対話会と臨床講義とは

大西対話会とは、言語障害の方やそのご家族を「教育支援員」として招き、入学後間もない1年生と話していただく授業です。学生たちは定点ビデオで撮影しながら対話し、授業後ビデオを見直してコミュニケーションの様子を振り返り、レポートを提出します。

教科書の中でしか知らなかった失語症の方を前に戸惑う学生が多く、この頃はまだ教育支援員さんや同席されるご家族に会話をリードしてもらうことが多いですけどね。自己紹介も兼ねて写真や趣味の作品を持ってきてくださるので、普段の生活をイメージすることができる重要な機会です。また、発症時の心境やその後の心の動き、活動の様子なども伺うことができ、リハビリテーションの意味について考えるきっかけにもなっていると思います。

臨床講義は、成人領域と小児領域の両方でおこなっています。成人領域の場合はひとりの方に複数回お越しいただき、学生がグループで検査や訓練をさせていただきます。初回面接からはじまり、どのような障害や問題があるのか大まかに把握するスクリーニング、総合的な失語症検査の実施、症状をより詳細に調べる掘り下げ検査へと進み、検査結果の分析をふまえ、適切な訓練プログラムを考え、訓練を実施するというように、実際の臨床でおこなう活動を学内の授業で経験します。学生は、実施内容を毎回ビデオで撮影し、その映像を何度も見て分析し、レポートを作成しています。どのように考えて結論を出したのか、毎回次の授業で発表し合って、複数名の教員がフィードバックします。

※1柏木敏宏

昭和47年から伊豆韮山温泉病院や星ケ丘厚生年金病院、協和会病院等で言語療法に従事。日本言語療法士協会会長をはじめ、日本音声言語医学会理事、日本失語症学会理事、日本神経心理学会理事、厚生省言語聴覚士養成施設基準等検討会委員等数々の要職を歴任。日本言語療法士協会会長就任時には、言語聴覚士の国家資格制度化に尽力した。

観察力と対話力を磨くための対話会

──当時、学生として参加した河南秀和さん(2014年大阪保健医療大学言語聴覚専攻科修了。現、社会福祉法人 わかたけ福祉会 理事長 ※役職は取材当時のものです)は、対話会や臨床講義など言語聴覚専攻科の教育でどのようなことが印象に残っていますか。

河南実は私は、「対話会」でお出会いしお話した教育支援員さんとは今でもお付き合いがあるんです。大学を修了後に失語症の方々やご家族とともに地域で活動されている教育支援員さんのお宅へお邪魔をさせていただいたのです。その時、「(覚えています)」という反応で声をかけていただき、今ではお互いに手紙を送り合う仲です。

私は、この大学に入学するまで、公立小学校の特別支援学級(言語障害学級・ことばの教室)で言語指導をしたり、教育行政の特別支援教育担当や養護学校の校長として障害のある子どもたちの教育に関わったりしていました。

その中で約20年間、延べ約1万人の言葉やコミュニケーションに障害のある子どもたちと出会い、ことばの教室の担当教員としての日々はとてもやりがいのあるものでした。しかし、人事異動により、言語臨床を続けることができなくなりました。教職に就く者の宿命ではあるのですが、それでもいつか再び、自分らしく「子どもたちの発達支援として言語臨床に携わりたい」という希望はずっともっていました。

そして、平成23年の公職退任の年、東日本大震災が発生しました。誰もが人としてどう生きるのかを考えさせられたと思います。私も自分自身の人生や今後の生き方を考え、これまでの歩みから、進むべきは言語聴覚士の道と養成校への進学を決意し、大阪保健医療大学言語聴覚専攻科の門をくぐりました。

入学してみると、言語聴覚専攻科のカリキュラムは目を見張るものがありました。言語聴覚士に必要とされる知識の蓄積と、対人援助職である言語聴覚士に必要な人間性や人としての在り方を伝えようとしている教育課程であると思います。学生のことを考え計算された時間割編成、経験豊富でかつ各学会の中核として活躍されている著名な先生方からの講義、人の生き方や人生の機微に触れる感銘深い講義が数知れずあります。積み上げ型の学びスパイラル型の学びは、知識の質的・量的嵩上げが可能で、学生にとって知識の引き出しを容易にする仕組みだと感じました。

対話会や臨床講義も私にとって重要な位置づけでした。当事者の方にお会いすることで、人として如何に生きていくのか、といった根源的な在り方に直接触れて自己を見つめる機会にもなったと思います。対話会では、教育支援員の方とお話をするうちに生活の様子がつかめ、どのような暮らしをされているのかどんどん興味が湧いてきます。障害のある方だけでなく、ご家族の暮らしの支援までおこなう言語聴覚士の役割について改めて認識を深める良い機会でした。

大西学生の中には河南さんのように、当事者の方を深く理解しようという想いをもって、自然に話を広げられる人もいますが、なかなか難しいんですよね。学生には、対話会では「症状の記録」はしなくて良いと言っています。言語症状はこれからの授業で学べますので、まずは、その方がどのような方なのか、どのような1日を過ごされているのか、何を伝えたいと思ってくださっているかを聞き、知ってもらいたいと思っています。

河南|国家試験に言語聴覚士に必要とされるコミュニケーション能力の実技試験があるわけではありませんが、卒後に訪れる言語聴覚療法の臨床を考えると目の前に患者様がいらっしゃるということでモチベーションが上がりますね。私は対話会や臨床講義のあとにおこなうグループディスカッションやレポート提出が、ひとを観察する力や言語聴覚士に問われる対人援助職としてのコミュニケーションのあり方について考えるきっかけとなりましたね。

ひとに寄り添う視点

──大西先生は学生らのどのようなところを見ているのでしょうか。

大西コミュニケーションの基本として、どのように声をかけているかですね。声の大きさ話す速さや長さ失語症の方が返事をされる時にどれだけ待ったらいいのかなど学生たちは試行錯誤しています。みんなまじめに必死に取り組んでいるんですけど、円滑なコミュニケーションには相手だけでなく、自分を客観視する必要があります。それから、重要なのは相手の方の思いや意図をくみ取ろうという姿勢ですね。

例えば、教育支援員さんが言語症状をともないつつ「昨日はカレーを食べた」と話の口火をきられたとします。その話題でもっと何かを伝えたいと思って話されたと思いますから、どんな声をかけたらいいのか一旦考えてみてほしいわけです。「誰と食べたんですか」、「誰がつくったんですか」、「どんなカレーだったんですか」と、相手の具体的なイメージのなかに入り込み、想いを察知して共感したいと感じてもらいたいのです。

失語症の方は、伝えたいことすべてを言葉にすることが難しいのですが、うれしいことも楽しいことも、悲しいことも残念なことも、話そうとされることはすべて感じて共有したいと思います。

河南自分たちが対話する様子を録画したビデオをあとから見ていると、失語症患者である教育支援員さんへの声かけで遠慮している瞬間が分かります。これを聞いたら失礼じゃないのかと口ごもってしまったり。その時に口火を切るのが自分の役割かなと思っていました。社会人40年のキャリアでね…。

大西そうでしたね。河南さんはグループのなかでよく助け舟を出してくださっていましたよね。学生にとってはなかなか難しいことだと思いますが、どのような話題であっても想像を膨らませて、相手の方に興味を持ち、もっと知ろう、もっと知りたいと話していけると良いと思っています。

──対話会がはじまってすでに15年以上が経過しています。当時と今ではどのような変化が起きているのでしょうか。

大西当時は柏木先生から紹介された、どちらかというと自分のことや失語症のことを伝えたいという熱心な方が多く来られていました。それから徐々に失語症になって間もない方やあまり外出されない方も柏木先生が紹介されることがありました。

その方自身も障害と向き合いはじめたばかりで、「なんでこんなところに来ないといけないんだ」と思われていたかもしれません。でも、おそらく柏木先生は、失語症の方が「必要とされる人」として対話会で役割を果たし、それが求められていることを実感していただきたかったのではないかと思います。

最近では、修了生たちが自分たちの患者さんに対話会を体験してほしいと連絡が来るようになってきています。対話会を思い出し、その意味や効果を考えてくれるのはうれしいですね。今後は大学の中だけでおこなってきた対話会を、生活の身近な場でおこなうことができたらいいなと考えています。


1997年に国家資格として認定を受けた言語聴覚士は、「はなす・きく・たべる」といったコミュニケーションの根幹をなす活動のさまざまな支援をおこなう。患者一人ひとりや、家族に寄り添いながら生活を支援する活動の裏側には、言語聴覚士の注意深い観察力とコミュニケーションを引き出す対話力が求められているのだ。大阪保健医療大学 言語聴覚専攻科でおこなわれる「対話会」や「臨床講義」は、言語聴覚士に求められる素質をのばす機会であり、言語障害の方の社会参加の機会となっている。大西先生はこの取り組みをさらに地域に開く仕組みを考えていきたいとしている。

第2部では、河南秀和氏が篠山市で取り組む活動を通じて、「第2部|地域での新しい言語聴覚士のあり方」とはどういうことなのか伺った。言語聴覚士のさらなる可能性を探っていきたい。

(文=浅野翔/デザインリサーチャー)

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