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ST TEACHERS INTERVIEW

もしも自分の家族だったら?
その視点がSTとしての原点。

専門領域

成人のコミュニケーション障害
失語症・高次脳機能障害

井上 直哉

INOUE NAOYA

私の教えていること

臨床経験をもとに
失語症を中心とした
成人のコミュニケーション障害を
理解する。
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私は成人のコミュニケーション障害、主に失語症学を担当します。例えば、脳卒中や脳外傷などの後に、頭に思い浮かんでいることがうまく言葉にできなくなってしまう、突然言葉がわからない外国に放り出されたような状態になってしまうのが失語症です。失語症の症状やその度合いを評価するために、どのような検査方法を選択していくのか、さらになぜそういった症状が生じているのかという障害構造を把握するためにはどのような検査方法を選び、検査結果を解釈するのかといったことを学ぶ授業です。

学校で学んでいるときは、どうしても教科書上の知識が先行します。臨床に出て見て聞いて学んで経験することでやっと自分のものになることが多いですから、具体的にイメージすることが難しいと思います。私自身も学生時代はとても苦労しました。ですから授業では知識に加えて、臨床での経験や学びが具体的なイメージを持って伝わるよう心掛けて組み立てています。学びながら「少し前進できたかな」と思える感覚を持ってもらえることを大切にしています。

STとして必要な力とは

その人の生活に寄り添う考え方で育まれる、症状を見逃さない的確かつ迅速な評価力。 02

入院期間がどんどん短縮されているため、急性期では高次脳機能障害・失語症等を見過ごしてしまわないように、症状を見逃さない的確かつ迅速な評価がますます必要となっています。(症状を見逃されたまま社会に戻ると、注意機能や記憶の問題など患者さんの困りごとは”症状”ではなく全て本人の”せい”になってしまいますから)

また、早期退院や在宅リハビリが増えていくなかでの地域との連携や言語聴覚士としての情報発信も大切になってきます。「評価」という言葉のせいか、どうしても医療職と利用者というような関係で考えがちですが、症状の前に人をみなければ見逃してしまうことがあります。患者さんやその家族一人ひとりの生活にきちんと寄り添って考えられる言語聴覚士であることが的確な判断や評価につながります。本校の特色として、臨床の第一線で活躍し言語聴覚士を牽引し続けているたくさんの先生方に講義をしていただいています。先生方から学んだ生身の知識、考え方、倫理観を自身の核に持ち、誠実に、一人の人間として患者さんやご家族、様々な職種の方と向き合ってください。

学生のみなさんへ

as if(あたかも~のように)
という感覚を持って。
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学生時代に臨床心理学の授業の中で、来談者中心療法の創始者カール・ロジャーズが「共感的理解」について定義した、“as if(あたかも~のように)”という姿勢を学びました。患者さんとその家族の私的な世界を“あたかも自分自身のものであるように”感じとることが、患者さんに寄り添いながら冷静かつ客観的な視点を持つ臨床家としての土台になると考えています。患者さんご本人・ご家族ともに痛みや不安、ショック、辛い気持ちや葛藤があることを考えてください。

また、入院中の様子から患者さんや家族だけでなく医療者も、退院した後も同じように暮らしていけると錯覚してしまうことがあります。それはあくまで病院という安全安心が保たれた室内での状態ですから、自宅に戻ったときの負荷が掛かる環境ではどうだろうか?果たして同じように暮らせるだろうか?自分の家族であったらどうだろうか?と考えることが必要です。

私も常に「絶対こうだ」とは思い込まないようにしています。半分家族であり、半分専門職であるような視点を持ち続けることを忘れてはいけません。患者さんと医療者という立場はありますが、患者さんも自分も同じ一人の人間同士であることがベースになります。成人領域であれば、患者さんは人生の大先輩であることがほとんどです。人を相手にする仕事だという認識をしっかり持ったうえで、たくさん学んで欲しいと思います。

FROM ST TEACHER MESSAGE

井上 直哉先生

届けたい想い

みなさんが臨床の場に出た時、
学校での学びがしっかりと生かせるように、
具体性を持ちつつ知識や経験を伝えていきたいと思います。
STを目指されるみなさんが
この仕事に就いてよかったと思えるよう
さまざまな面でサポートをしていきますので
一緒に歩んでいきましょう。

井上 直哉